日馬富士の現在は?第70代横綱の経歴、引退の真相と2026年の活動を徹底解説
2026年現在、元大相撲第70代横綱の日馬富士公平氏は、モンゴルで教育事業を担い、日本とモンゴルをつなぐ国際交流にも取り組んでいる。現役時代には幕内優勝9回を記録した一方、2017年には暴行問題によって引退を決断した。華々しい実績と、横綱としての責任を問われた出来事の両方が、日馬富士の歩みを語るうえで欠かせない。
引退後の活動では、子どもたちの教育環境を整える「新モンゴル日馬富士学園」の理事長としての仕事が中心的な役割を占める。2026年には日本の大学との交流や学校備品の寄贈に関する活動も報じられている。ここでは、日本相撲協会の公式記録、大学などの公的機関の発表、医療支援団体の活動報告、報道各社の記事をもとに、日馬富士の経歴、改名理由、引退の経緯、現在の活動と評判を整理する。
【2026年最新】日馬富士の現在は?引退後の活動と教育事業
日馬富士公平(はるまふじ・こうへい)
元大相撲第70代横綱・新モンゴル日馬富士学園理事長
生年月日:1984年4月14日(2026年10月現在、42歳)
本名:ダワーニャム・ビャンバドルジ
最高位:第70代横綱
幕内優勝:9回
2026年現在の日馬富士を理解するうえで、まず押さえておきたいのは、相撲界を離れた後も公的な活動を続けていることだ。現在の主要な活動の一つが、モンゴルの首都ウランバートルにある新モンゴル日馬富士学園の運営である。
同学園は2018年に開校した、幼稚園から高等学校までの一貫教育を行う学校だ。日本式教育を取り入れ、学力だけでなく、礼儀や道徳、国際交流を重視している。日馬富士氏は同学園の理事長として、教育機関同士の連携や日本との交流にも関わっている。
2026年の活動を示す具体的な事例が、同年3月26日の秋田大学への訪問だ。大学側の発表によると、日馬富士氏は学園関係者とともに大学を訪れ、モンゴルからの留学生や大学関係者との交流を行った。同日には秋田県立大学との連携協力協定の締結も行われ、次世代の人材育成や学生交流を進める方針が示された。
さらに、2026年5月には、広島県安芸高田市の小学校で使われていた机と椅子400セットを、モンゴルの学校へ寄贈する取り組みが報じられた。報道によると、日馬富士氏は市長を表敬訪問し、子どもたちが学習に使う備品の受け入れについて関係者と交流した。
これらの活動から見えてくるのは、引退後の日馬富士が、元横綱としての知名度だけに頼るのではなく、教育機関の運営や国際交流という継続的な仕事に取り組んでいることだ。
ただし、こうした教育活動と、現役時代の暴行問題は別々に評価する必要がある。引退後に社会貢献を行っていることは事実だが、それによって過去の問題が帳消しになるわけではない。
【経歴・年表】安馬から第70代横綱へ、日馬富士の歩み
日馬富士は1984年4月14日、モンゴルで生まれた。父親は警察官で、モンゴル相撲のブフでも実績を持つ人物だった。幼い頃から相撲に親しみ、兄たちとの相撲を通して負けん気の強さを培ったとされる。
2001年1月場所で初土俵を踏み、2004年には十両、同年11月には幕内へ昇進した。小柄な体格を補うスピードと鋭い立ち合いを武器に、体格で勝る力士にも正面から挑む取り口で存在感を高めていった。
日本相撲協会の公式プロフィールによると、日馬富士の生涯戦歴は827勝444敗85休。横綱在位は2012年11月場所から2017年11月場所までで、幕内優勝は9回に達している。
出典:日本相撲協会の力士プロフィール・歴代横綱一覧、日刊スポーツの引退会見報道、大学・自治体関連の公表資料。
日馬富士の強さはどこにあったのか
日馬富士の持ち味は、立ち合いの鋭さと攻めの速さにあった。身長186センチ、体重137キロという体格は、当時の大型力士が多い幕内では比較的小柄な部類だった。その体格差を、相手に先手を取らせない攻めと、右四つからの寄りで補っていた。
日本相撲協会のプロフィールに掲載された得意技は「右四つ・寄り」。通算成績だけでなく、技能賞5回、殊勲賞4回という受賞歴も、相撲技術と上位力士に対する競争力を示す数字だ。
横綱としての優勝回数を比較すると、日馬富士の9回は、白鵬の45回や朝青龍の25回には及ばない。一方、鶴竜の6回を上回り、照ノ富士の10回に近い水準にある。
優勝回数だけで横綱の価値が決まるわけではない。日馬富士の場合、スピードを生かした相撲と、白鵬らが君臨した時代に優勝を重ねた点も評価の対象となる。
【改名理由】なぜ安馬から日馬富士になったのか
「安馬」と「日馬富士」は別の力士ではない。どちらも同じ人物であり、安馬は日馬富士が大関昇進前に名乗っていた四股名だ。
2008年11月場所、関脇だった安馬は13勝2敗の好成績を挙げ、大関昇進を確実にした。11月26日に大関昇進が正式に決まった際、四股名も日馬富士へ変更された。
この改名のポイントは、単に名前を変えたのではなく、関脇から大関へと地位が上がる節目に行われたことだ。安馬として培った実力を土台に、上位力士として新たな段階へ進むタイミングだった。
なお、「安馬」という旧四股名には、入門した安治川部屋の「安」の字が使われていた。大関昇進時の改名については、昇進決定と同時期に行われたことが当時の報道で確認できる。
本名は、モンゴル語のキリル文字表記でДаваанямын Бямбадорж、ラテン文字ではDavaanyamyn Byambadorjと表記される。日本相撲協会の公式プロフィールでは「ダワーニャム・ビャンバドルジ」と記載されている。引退後の報道で本名が使われる場合もあるが、日馬富士は現役時代の四股名として広く知られている。
【引退の経緯】2017年の暴行問題で何が起きたのか
日馬富士の引退を理解するうえで避けられないのが、2017年の貴ノ岩への暴行問題だ。横綱として優勝を重ねていた力士が、なぜ突然土俵を去ることになったのか。その背景には、暴行の発生、問題の公表、本人の引退決断という一連の経緯がある。
暴行問題の発生から引退まで
報道によると、問題となったのは2017年10月下旬、鳥取巡業の際に鳥取市内で起きた貴ノ岩への暴行だった。日本相撲協会は同年11月19日、暴力問題について謝罪し、鳥取県警の捜査に協力すると発表した。
その後、日馬富士は11月29日に引退届を提出し、引退を表明した。会見では、横綱としての責任を感じたことを理由に挙げ、相撲ファンや関係者に謝罪したと報じられている。
引退の直接的な理由は、年齢や体力の衰えによる通常の引退ではなく、暴行問題に対する責任だった。
事件後の法的処分
2018年1月4日、鳥取簡易裁判所は、傷害罪で略式起訴されていた日馬富士に罰金50万円の略式命令を出した。日刊スポーツは同月22日、本人が罰金を納付したと報じている。
この経緯は、引退を単なる相撲界の人事問題として扱えないことを示している。横綱には高い競技能力だけでなく、品格や行動への責任も求められる。暴行問題は、競技上の実績と社会的責任が別の評価軸であることを明確にした。
日馬富士の相撲人生を振り返る際、優勝9回という数字だけを取り上げても、引退の経緯だけを取り上げても全体像はつかめない。卓越した競技実績と、暴力行為に対する責任の両方を認識することが必要だ。
【引退後の現在】学園運営と日本・モンゴルの国際交流
引退後の日馬富士は、相撲の世界から教育の世界へと活動の軸を移した。現在の活動を具体的に理解するには、学園運営と日本の教育機関との連携に注目すると分かりやすい。
新モンゴル日馬富士学園とは
新モンゴル日馬富士学園は、モンゴルで日本式教育を取り入れる幼稚園から高校までの一貫校だ。2018年に開校し、挨拶や道徳、礼儀を重んじる教育方針を掲げている。日本の学校との交流や、卒業生の日本留学につながる取り組みも行われてきた。
日馬富士氏が理事長を務めていることは、大学や学校法人の公式発表でも確認できる。例えば、2025年4月には学校法人岩谷学園との教育分野の協力に関する覚書が締結された。2026年3月には秋田県立大学との連携協力協定も実現している。
こうした協力は、単発の講演や表敬訪問にとどまらず、学生・教職員の交流、留学生の受け入れ、教育プログラムの実施などにつながる可能性を持つ。
2026年の活動から見えるもの
2026年1月には、福山市立大学が日馬富士氏による講演について公表した。同氏は相撲人生を振り返りながら、挨拶や「おかげさまの精神」「恩返し」の大切さを語り、学園での日本式教育について紹介したとされる。
同年5月には、安芸高田市の小学校で使用された机と椅子400セットをモンゴルの学校へ寄贈する計画も報じられた。学校を運営するには、教育理念だけでなく、教室や備品などの具体的な環境整備も必要になる。こうした寄贈は、子どもたちが実際に学ぶ環境を支える活動の一例だ。
引退後の活動を評価する場合、本人の肩書だけで判断するのではなく、学校運営、教育機関同士の協定、備品寄贈など、実際に確認できる活動の内容を見ることが大切だ。
【医療支援・慈善活動】ハートセービングプロジェクトの実態と評判
日馬富士の社会貢献として知られているのが、モンゴルの子どもたちを対象とした医療支援だ。特に、心臓病の子どもたちを支えるNPO法人ハートセービングプロジェクト(HSP)との関わりが挙げられる。
モンゴルの子どもを支える医療支援
これまで紹介されてきた活動には、モンゴルの地方での心臓検診、日本の小児循環器病棟への慰問などがある。現役時代には、懸賞金を地方での検診活動の費用に充てたことも伝えられている。活動の背景として、子どもの頃から父親に「人のために尽くす人間となれ」と教えられたことが紹介されてきた。
HSPが2026年5月15日に公表した寄付募集資料では、前年の活動実績として、モンゴルへの年間3回の渡航、学校検診を除く764人への心エコー診断、34件の心臓カテーテル治療・検査、年2回の地方検診が報告されている。診療の中心はモンゴル側の医師が担い、日本側は指導や支援を行う形が取られている。
ここで区別したいのは、HSPという団体全体の活動実績と、日馬富士個人の活動実績だ。上記の人数や治療・検査件数はHSPが公表した事業全体の数字であり、すべてを日馬富士個人の成果として数えることはできない。一方、日馬富士が同団体に関わり、医療支援を後押ししてきたことは、これまで紹介された支援活動の一つとして位置づけられる。
慈善活動と人柄はどう評価すべきか
日馬富士については、巡業先で子どもに優しく接したエピソードも伝えられている。地方巡業で不登校だった少女に声をかけ、一緒に写真を撮ったことが、少女が相撲に関心を持つきっかけになったという話だ。
こうした逸話は、子どもたちとの交流を考えるうえで印象的なエピソードではある。ただし、一つの逸話だけで人物全体を評価することはできない。
同様に、医療支援や教育活動が確認できるからといって、2017年の暴行問題を軽視することもできない。社会貢献の実績と、暴力行為に対する責任は、どちらか一方で他方を打ち消せるものではないからだ。
日馬富士の評判を判断する際は、相撲の実績、引退に至った問題、引退後の具体的な社会活動を分けて捉えることが、最も実態に近い理解につながる。
家族について公表されている情報
日馬富士の家族については、現役時代の報道で長女が青山学院初等部に通っていたことが伝えられている。2017年8月8日の青山学院記念館での夏巡業では、本人が「娘の学校で巡業ができてうれしいですね」と話し、子どもたちに相撲を好きになってもらいたいという思いを語った。
この報道から分かるのは、当時の長女の通学先と、本人が学校での巡業を喜んでいたことだ。現在の家族の生活や進学状況については、同じ情報から判断できるものではない。家族に関する話題では、過去の報道で明らかになった事実と、現在の私生活を混同しないことが重要になる。
【日馬富士】に関するよくある質問(FAQ)
Q1:日馬富士は2026年現在、何をしている?
A1:モンゴルの新モンゴル日馬富士学園で理事長を務め、教育事業や日本の大学との国際交流に取り組んでいる。2026年には秋田大学などとの交流や、学校備品の寄贈に関する活動が報じられている。
Q2:日馬富士はなぜ安馬から改名した?
A2:2008年11月、関脇安馬の大関昇進が決まったことを機に、四股名を日馬富士へ変更した。安馬と日馬富士は同一人物であり、改名は大関昇進という節目に合わせて行われた。
Q3:日馬富士の大相撲での優勝回数は?
A3:日本相撲協会の公式プロフィールによると、幕内優勝は9回。生涯戦歴は827勝444敗85休で、2012年11月場所から2017年11月場所まで第70代横綱を務めた。
【プロの結論】日馬富士の現在と活動の真相をどう見るべきか
日馬富士の歩みには、大相撲で頂点に立った力士としての実績と、横綱としての責任を問われた引退の経緯、そして引退後に教育や医療支援へと活動を広げてきた姿がある。
2026年の公的な発表や報道からは、新モンゴル日馬富士学園の理事長として、日本の大学との連携、留学生交流、学校環境の整備などに取り組んでいることが分かる。HSPの医療支援も、モンゴルの子どもたちの健康を支える活動として続いている。ただし、学園の教育事業とNPOの医療支援は別の取り組みであり、それぞれの役割や実績を区別して理解する必要がある。
日馬富士を評価する際に大切なのは、優勝9回という競技成績だけで人物像を決めつけないこと、反対に引退の原因となった暴行問題だけで引退後の活動まで否定しないことだ。事実を分けて整理すれば、功績と責任の両面が見えてくる。
元横綱として培った知名度や経験を、教育や国際交流の現場でどのように生かしていくのか。日馬富士の現在を知るうえでは、過去の名声や話題性だけでなく、今後も継続していく学校運営や社会活動の具体的な成果に目を向けることが重要だ。 (出典: 日 馬 富士(Yahoo!ニュース))